命蠢く湿地は全てを覆い隠してくれる…「ザリガニの鳴くところ」の沼は深い

【2021年4月14日更新】
本屋大賞2021の翻訳小説部門第1位になりましたね、おめでとうございます!!
ということで、文章全体がちょっとでも読みやすくなれば…と思いちょいちょい修正しました。

仕事で疲れた体を引きずるように訪れた本屋にて、とある作品のタイトルと表紙と、帯の推薦文に惹かれました。

ちょっと分厚いけど、中を見るとフォントの大きさはあまり大きく無いので、そんなに時間もかからずに読めそうだな…ノースカロライナの湿地が舞台?想像がつかないけど、数人がその湿地の描写を絶賛しているところに興味をそそられる…

ぐるぐる考えた後に、いやでもやっぱり、ハードカバーを置いておくスペースもないしな…と一度は諦めて帰宅したものの、数日後、やっぱり仕事に疲れて同じ本屋を訪れた時に「欲しい本も買えないなんて、何のために働いているのか!?」と自分自身にキレ、我慢できずに購入したのでした。
(新刊ハードカバーの購入をためらうのは金銭面ではなくスペースの問題なのだけれど…それはいつも棚上げして買ってしまう)

帰り道の電車の中で買ったばかりの本をそっと開く喜びは、スペース問題が自分を苦しめるとしても、やはり代え難い喜びだな…と思いつつ、読み始めました。

ざっくりあらすじと感想

面白かった!と叫ぶには物語が重く静謐で、どちらかというと凪良ゆうさんの「流浪の月」のように、登場人物ごと、その痛みごと抱きしめたくなるような、深い共感と没入感がもたらす一体感を味わう作品だったように思います。

(太字にしといてあれだけど、深い共感と没入感がもたらす一体感って、下手なラップみたいだな…笑)

ここでは無い何処かへ誘ってくれるのが小説の醍醐味だとすれば、まさに本作は、読み手にそれを与えてくれる。そういう読書がしたい方には絶対おすすめの作品です。
(逆に、エンタメ性を求める人にはあまりおすすめしないかもしれないです)

本作の魅力は、物語(=主人公のカイア)との一体感に尽きると思いつつ、もう少し具体的に、「共感」と「没入」に分けて紹介していきたいと思います。

※予備知識なく読みたい方はここら辺で読むのをやめた方が良いかと!
※あっあと帯の感想文たちがこれまたとっても魅力的なのだけど、少しネタバレ(というかラストシーンを想起させるような)してる紹介文もあるので、買うときはうっすら薄眼で買いましょう!

作品の魅力・深い共感

深い共感は、それだけ主人公である“湿地の少女”カイアに対して。

家族全員から置き去りにされ、わずか6歳にも関わらず一人きりで生きなければならなかった彼女。学校には1日だけ行ったけど、爪弾きにされ行かなくなってしまった。魚や貝を採って僅かなお金を得ては、水路が入り組む湿地の中を、父親が置いて行ったボートで動き周り、美しい鳥の羽根や貝殻をコレクションすることを喜びとする。

カモメに餌をやり、有色人種の燃料屋さん・ジャンピンとだけ僅かに交流を持ち、後はただひたすらに毎日を生きていく。

途方もなく孤独で、将来の見通しも何も無い、不安定な日々。けれども、不思議と悲壮や絶望とは無縁であり、彼女の日々は、読み手にある種の美しさを感じさせる。

それは恐らく、彼女の生活が、湿地にうごめく無数の命たちと同様にただただ“ありのまま”だったから。シンプルで、それゆえに強い。死ぬまで生きる、ただそれだけのことだと言わんばかりに。

読み進めるうちに、しなやかで強靭で聡明で、実際見た目も美しくあるカイアの毎日を俯瞰して眺めているような感覚に陥っていました。

例えば、口や手は出せないけどカイアに寄り添い共に暮らしているような……彼女が餌付けをしているカモメの群れの、一羽になったような気持ちがしたのです。

中盤〜終盤にかけて彼女に降りかかるトラブルには、読んでいて本当に手の先が冷たくなるような緊張を覚えるほどでした。それだけの深い共感を味わえるのは、丁寧な描写(そしてそれを自然に読ませてくれる訳者の力量!)の成せる技だと思います。

作品の魅力・ノースカロライナという舞台への没入

本作の帯に書いてある推薦文の中でも特に心を掴まれたのは次の文章でした。

潮含みの湿った風が吹き抜ける小さな小屋にすむ、一人の美しく聡明な女性の生涯を描き、そして何より美しいミステリーでもある。まだ心はノースカロライナの湿地帯にいる。

奥田真弓(平和書店TSUTAYAアル・プラザ城陽店)

1960年代・ノースカロライナの湿地、という、恐らくほぼ全ての日本人には馴染みのない舞台設定に心をくすぐられる。しかも、その湿原の風景が、読んだ人の心に残り続けると言うのだから!

色使いが印象的な表紙と、冒頭に記されている湿地の地図を手がかりに、わたしたち読み手は想像の翼を広げ、湿地を自由に飛び回ることが出来ます。

きっと水路は幅が広いところと狭いところと入り組んでいて、水面の上にも植物が覆いかぶさるように生い茂るのだろう。
その間を縫うように、あるいはかいくぐりながら、カイアが手足のように操るボートは湿地の中を走り回るのだろう。

カイアは明け方の冷気の中、泥に足を浸しながらムール貝を掘ったのだろうし、湿度の高い日中にも釣り糸を垂らし魚を釣っては、ジャンピンの店に通ったのだろう。
彼女の日課でもあるカモメの餌やりの時間には、無数のカモメが渦を巻くように上空を旋回し、あるいは水辺に降り立ち彼女から餌をねだったのだろう…。

そんな風に、実際の風景とは違うのかもしれないけど、読んだ人それぞれの心の中に湿地の風景が広がっているはず。
その想像を突き合わせてみたら、もしかしたらてんでバラバラなのかもしれないけど、そのバラバラな想像全てがある意味正解でもあるわけで。

この辺の“自由さ”が、映画や漫画など映像を伴う作品群とは異なる、小説の魅力・醍醐味ですよね。

確かにわたしは、あの時代のあの場所の空気を吸ったんだ!
それはわたしだけの個人的な体験で、そこには正解も間違いもないんだ!

……孤独の代償に息苦しいほどの自由を得たカイアの奔放さを愛するうちに、わたしたちもいつしか彼女の一部が胸に宿るようで、いつもより一層、小説の醍醐味を味わったように思います。

また、自然の描写やカイアの人となりだけでなく、動物学者でもある著者だからこそ描ける動物たちの生態も物語に厚みと奥行きを与えているように感じました。

自然のルール、生き物としての本能から来る数々の行動(自らが生き延びることで再び子を成し育てることが出来るという理由で子供を見捨てる母キツネ、交尾の最後に相手を食べてしまうメスのカマキリ、傷ついた同胞を見ると襲いかかる七面鳥…)が語られるのだけど、その背後にはいつも“あるがままの生を全うし死んでいく”というシンプルだけに強烈なメッセージが鎮座していました。

生も死も等しくありふれていて、両者は紙一重の違いでしかなく、今日を生きたとしても明日の約束は何処にもない…。
途方もなく心許ないけど、不変の真理でもある。所詮、生き物にできることといえばその日を生き抜くことだけなのだということ。

親もなく、学校にも行かなかったカイアの教育者は、彼女の初恋であるテイト少年(彼がね〜…色々アレだけど、アレさがリアルだった)と湿地の生き物たちで、だからその分、カイアの生き方は野生に近しい。

狼に育てられた…という野蛮さではなく、人と動物の間の存在というか。
それもまた、カイアを孤独にもし、生来の魅力を引き立たせもしているのだと思いました。

以降、物語の内容に触れるネタバレ感想が続きます。未読の方はご注意ください!

※ネタバレは嫌だけど、もう少し本作が知りたい…と思った方は、早川書房さんの公式note記事がおすすめです。

https://www.hayakawabooks.com/n/n412fb2b2b8a5

ネタバレ感想

結末を知ってから思い返すと、ああなるほどな…と合点がいくところがいくつもあった。

息つまる法廷シーン(ここ、本当に緊張感がすごかった…)の中で、どうしてカイアちゃんは終始一言も弁解をしなかったのか?

カイアちゃんが無罪だとしたら、それじゃチェイスはどうして死んだのか?

結局、カイアちゃんがチェイス殺害の真犯人だということが、彼女が64歳でその生涯を終えた後に、間接的に(彼女のペンネームであるアマンダ・ハミルトン名義の「ホタル」という詩の内容が、殺人を仄めかすものだったこと、そしてチェイスが身につけていた貝殻のネックレスも一緒に保管されていたこと)明らかにされる。

そして、カイアちゃんの良き夫となったテイトは、彼女の秘密を知り、その詩やネックレスが通っていた革紐を焼き、貝殻は海へと返す。

(帯の中で、「終わりが、もう、あの、ページを、破って燃やしたい。」という紹介文があって、わたしはテイトが厚紙の箱を取り出したところくらいから、「アッ!?破って燃やしたいってことはつまり、燃やしたいものが終わりに書かれているってことで…?すなわち犯人は…?」と、実際に読むより数分早く結末に気が付いてしまい、それがすごく残念だった😫 でも気持ちはすごく分かる。わたしもテイトと一緒に、真実を焼いてしまいたかった。他ならぬ彼女のために)

カイアは、自分の身を守る術を必死に考えたのだろうな。
人間界のルールに従っていては迫る危機は回避できない。チェイスは村の有力者で、警察を頼っても無駄だっただろうから。

だから、自然界のルールに従いチェイスを殺した。恐らく、罪悪感もあまり抱かなかったのではないかと思う。(そして大半の読み手も、彼女を非難し糾弾しようとは思わないでしょう)

もしかしたら、テイトと温かな家庭を築くうちに、罪の重さを思った夜もあったかもしれないけれど…。母になって初めて、自分が誰かの子どもの命を奪ったのだと思い至ったかもしれないけれど…。

無罪判決を勝ち得たことで、彼女の罪は法律上消えて無くなりました。(=自然界のルールが彼女を罰することはそもそもなく、人間界のルールにおいても彼女は生存に成功した!)

そして罪の痕跡も、彼女の命そのものも、大地へと還っていき、湿地はただただ、善悪無くそこに在り続けるのです。生も死も等しく飲み込んで。

自然の描写に想像を巡らせる楽しさ、カイアの自由さと不自由さに思いを巡らせること、その時代の様子はきっとこうだったのだろうという納得感、ハラハラしっぱなしの法廷劇…

設定やストーリー展開もてんこ盛りなのに、読み心地はずーーーーっと静謐なのが不思議だった。
深い、深い余韻のある作品でした。

最後までお読みいただき、有難うございました!

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